※大坂なおみ選手のストーリーはNew York Timesを基ににしていますが、この会話はフィクションです。
大坂なおみ選手がフィーバーしてます。
テニスの4大大会の一角「全米オープン」で、元世界女王であるセリーナ・ウィリアムズを下し優勝しました。
日本人が4大大会で優勝するのは史上初なのはもちろん、セリーナを倒したということでも世界中から注目されています。
実は優勝を飾る前の8月に、米メディアのニューヨークタイムスが大坂選手の特集を組んでいました。
本稿の元ネタは主にこちらです↓
ニューヨークタイムス ”Naomi Osaka’s Breakthrough Game”
大坂選手と両親、セリーナウィリアムズのドラマチックな因縁が書いてありました。
この記事節々になおみ節がでてきて面白いです。
今回はNewYork Timesの記事の内容を基に、お母ちゃんと大坂家の足取りを追ってみたいと思います。
目次
両親の出会い
Among the early wave of foreigners coming to Sapporo around 1990, Tamaki met a handsome college student from New York. Leonard Maxime Francois was Haitian by birth and one of only a handful of black men in all of Hokkaido. The two started dating, keeping their relationship secret from her parents for several years. Tamaki says that when she was in her early 20s, her father wanted to talk about omiai, the matchmaking process that would lead to her arranged marriage. The truth then spilled out: Tamaki was already seeing someone — a foreigner who also happened to be black. Her father erupted in outrage, excoriating her for bringing disgrace on the family.
The couple moved south to Osaka, where both Tamaki and Francois, whose Japanese was improving, found work. For more than a decade, Tamaki would have virtually no contact with her family. (Tamaki’s father could not be reached for comment.)
New York Times より
(概要和訳)
二人の出会いは母親のたまきさんが、北海道で学生だったときでした。
北海道に留学していたハイチ人の黒人男性と知り合い付き合うことに。
それが後になおみさんのお父さんなる Leonard Francois(レオナルド・フランソワ)さんでした。
二人はたまきさんの両親に内緒でデートを重ね、数年間交際を続けて行きます。
たまきさんが父親から「お見合い」を進められます。
外国人で、黒人男性の心に決めた彼氏がいることを伝えると、父親は玉木さんを勘当。
その後大阪府に住み始め姉のマリさんが生まれ、大坂選手(なおみさん)が生まれます。
(10年近く家族とコンタクトを取らなかったようです。)
日本人の祖父母との関係
大坂選手の活躍を喜ぶ日本人祖父のお姿もテレビによく出ていますが、もともとは母親のたまきさんを「勘当」するくらいですから、そこまで至るにもドラマがあったようです。
Tamaki decided they should meet their Japanese family, from whom she had been largely estranged for nearly 15 years. And so, when Naomi was about 11, she and her sister visited their grandparents in Japan. It wasn’t as joyful a homecoming as Tamaki might have hoped. Her parents took an interest in the girls, she says, but ridiculed their regime of home schooling and tennis training. Tennis was a hobby, they grumbled, not a profession.
New York Timesより
(概要和訳)
大坂選手が11歳の時に、母親のたまきさんと共に、北海道の祖父母に会いに行きます。
しかし再開は母親のたまきさんが考えたような幸福なものではなかったようです。
祖父母は孫である大坂選手には興味を持ったものの、
テニス選手を目指した生活に対しては賛成しませんでした。
「テニスは趣味であって仕事ではない」というように言われたようです。
ただその後大坂選手が16歳の時にテニスの大会で活躍しだしたあたりからサポートに回るようになったようです。
お守りをあげている、なんて微笑ましい話も書いてます。
(今回もテレビに嬉しそうに映ってましたよね。「優勝賞金4億って何それ!すごい」とかって笑。)
テニスを始めるキッカケはセリーナ・ウィリアムズ
大坂なおみさんの父、レオナルドさんが娘二人にテニスを始めさせるっかけは、
なんと若かりしときのセリーナ・ウィリアムズの活躍なんです。
そのシーンがこちら
One evening in 1999, when the girls were just toddlers, Francois became transfixed by a broadcast of the French Open featuring the American prodigies Venus and Serena Williams, then 18 and 17, who teamed up to win the doubles title that year. Francois played little tennis. But Richard Williams, the sisters’ father and coach, had played none at all. And Williams had created a plan to turn his daughters into champions, teaching them how to serve big and hit hard from every corner of the court. “The blueprint was already there,” Francois told me. “I just had to follow it.”
New York Timesより
(概要和訳:)
まだ大坂姉妹が幼児だった1999年に、父親のレオナルドさんはフランスオープンに現れた天才テニス姉妹の話にクギ付けになります。
それが、ビーナスとセリーナの「ウィリアムズ姉妹」
そう大坂選手が「ずっと貴方が憧れだった」というセリーナウィリアムズとその姉です。
当時17、18歳だった二人がダブルスのタイトルを獲りました。
しかしウィリアムズ姉妹の父親でコーチのリチャードさんは全くテニスのプレー経験がない人だったのです。
そんな人が姉妹にテニスを教え、ついにタイトルを取らせたのです。
この親子を見て、少しテニスの経験があった大坂選手の父:レオナルドさんは思ったのです。
「同じようにやればいいんだ!!」 ←マジかよΣ(゚Д゚;)!
こうして、父親レオナルドさんは娘二人をテニスで世界チャンピョンにしようと動き出したのです。
その後アメリカのフロリダにいるFrancoisさんの親族の元に家族は移り住みました。
その地域の公営のテニスコートを利用しながら、レオナルドさんはテニスのDVDやテキストを勉強し、
娘たちにテニスを教えたのでした。
これが大坂親子がテニスを本格的にはじめるキッカケだったのです。
それから10年以上の歳月を経て、そのキッカケとなったセリーナウィリアムズと対戦して優勝する。
すごくドラマチックですよね。
セレーナは2年前から大坂を危険視していた
記事のなかに以下の記載があります。
Serena Williams declared two years ago that Osaka was “very dangerous.”
セリーナウィリアムズが2年前の大坂選手を非常に危険だと述べたと記載があります。
それは以下のオーストラリアオープン大会の時の話だと思われます。
こちらに当時の記事がありました↓
Naomi Osaka is as honest and funny as they come
当時18歳で世界レベルのテニス界では無名に近かった大坂選手ですが、
この大会で格上の選手を下し注目を集めます。
その試合をみたセリーナウィリアムズは
“She’s really young and really aggressive. She’s a really good, talented player. Very dangerous.”
和訳:彼女は本当に若くてアグレッシブだわ。とても才能のある良い選手。とっても危険。
と述べたとのこと。当時からその才能を認め、危険視していたんですね。
それが2年後の今になってまさに現実となったわけです。すごいですね。
インタビューにポケモンの歌詞を答える、なおみ節
はつらつとして明るい印象の大坂選手に日本人は「やはり外国育ち」という印象をもつかもしれません。
でもアメリカ人から見ると、大坂選手の話っぷりは少し遠慮がちで日本人的だという意見もあるようです。
飾らず天真爛漫な受け答えに多くの日本人は親近感を覚えていると思います。
象徴的なエピソードがかいてありました。
she once told a reporter, was “to be the very best, like no one ever was.” After a beat, realizing that her interlocutor was not tuned to her frequency, she explained: “I’m sorry; that’s the Pokémon theme song. But, yeah, to be the very best, and go as far as I can go.”
管理人和訳:
彼女はレポーターに「to be the very best, like no one ever was(誰より最強になりたい)」と(リズムを刻んで)話した。インタビュアーが理解できていないのに気が付いて彼女は説明した。
「ごめんなさい。これはポケモンのテーマソングです。でも、最強になりたいの。いけるところまでいきたいの」
インタビューでポケモンの話だしてます Σ(゚Д゚;)!
チャーミングな会話ですよね。
日本人に愛されるわけです。
外国人に対して差別的?日本文化に変化をもたらす存在
大坂選手については、テニスでの活躍だけではなくて、ハイチと日本人のハーフで米国育ちという点も注目されています。
インタビューで「アイデンティティ」についての質問が出されたことが一部物議を醸しだしたり、
今回紹介しているNew York Timesには「日本のハーフや外国人に対する不寛容な文化」も紹介されています。
具体的には数年前にミスユニバースジャパンに輝いた宮本さん(アフリカ系アメリカ人と日本人のハーフ)が経験した苦労なども引き合いに出しながら、日本の差別的な現実を書いています。
確かに意識的かどうかは別として、日本人は大坂選手のようなハーフや外国人に慣れていなくて、「差別的」かもしれません。
だから大坂選手の登場は単にテニスプレーヤーとしてスターというだけではなく、
日本の差別的な文化にも大きな変化をもたらすかもしれないと期待をしている人たちもいます。
もちろんそれはポジティブな変化なのでしょうが、
正直あまりこの手の話を大坂選手の活躍と紐づけて話すのは気が乗りませんね。
大坂選手の愛くるしいキャラクターと実力は本物なので、あまり難しく考えずに素直に応援したいなぁと思います。
という感じで。頑張れ大坂選手!