田舎にも十分な才能があるにも関わらず、埋もれている人はたくさんいる。そういう人が都会に出てきたら幸せになるかというとそういう訳でもないのが、都会と田舎の格差を考える上でややこしいところだと思う。
前出のブロガーさんのように、自身が低学歴の世界にいると自覚しており、周囲よりも(見下す訳ではないだろうが)自身がリテラシが高いと自認をしている人もいると思う。
そういう人が都会に出てきて、さあこれでリテラシの高い人たちに囲まれて幸せになる、かというとそうではない。
むしろ、都会という砂漠に無防備で放り込まれて、とてもつらい思いをすると思う。
田舎の気持ち良さと侘しさ
田舎にいる時はそれでそれで、気持ちの良い世界があった。
合理的ではないかもしれないけれど、情緒に熱い人たちがいて、どうでもいい芸能ネタとか、日々の愚痴を
グダグダ話しながら、イオンにワンボックスカーでつけて、フードコートでご飯を食べていたらそれはハッピーな世界だった。
ゴールドマンサックスも三菱商事も知らないけれど、そんなことを知らなくたって何も問題なかった。
そんな会社の平均年収がどうとかよりも、あそこのコンビニは時給が20円高いかどうかの方がよっぽど大切だから。
ただ、ふとしたきっかけで、人が失踪したり、死んじゃったりすることが、たまにあったように思う。
都会いてもそういう人はいるけれど、だけど体感値として、田舎の方がそういう人は多かった。
若い時からタバコ吸って、酒を飲んで不摂生しているからだと思うけれど、やたらとガンとか心筋梗塞になる人が多い。その時にはもともと肉体労働系の仕事をしているからにっちもさっちも行かなくなって、早々に寝たきりになってしまう人も結構見聞きしてきたように思う。
大学で感じる社会の断絶
それでたまたまそういう世界で少し勉強ができて、親が大学に行かせるくらいの経済的余裕と多少の向上心があったのでそれなりの大学に行った時に、初めて社会の断絶というのを経験した。
そうか世の中には、ホワイトカラーとブルーカラーという職業があって、ホワイトカラーの人たちは肉体労働をしなくても生きていけるのか。
東京でインターンシップをするとびっくりした。
タクシーに乗っても会社が「経費」というもので支払ってくれるから、自分のお金を使わなくてもいいらしい。
インターンシップの帰りに商店街を歩くと、そこには地元と同じ匂いのするおっちゃんやおばちゃんがたくさんいて、喧しく「商売」をやっていた。30分前まで自分がインターンをしていたオフィスで行われている「ビジネス」とは異なった活動がそこでは行われているように見えた。
合理的で理路整然。みんながみんな頭がいい。
そんな世界に地方からひょっこりやってきたときに、強烈な疎外感を感じることがあった。てゆうか、何年間も疎外感を感じながら仕事をしていた。
(続く)