もはや説明するまでもなく世間を騒がせている日本大学アメフト部の事件。
この事件で監督、コーチ、選手の関係を見ていて、日本の部活動の負の側面を感じます。
今回の事件はそもそもが傷害事件なので完全なる犯罪なわけですけど、
注目されているのは、傷害(=タックル)の部分ではなく、そこに至るプロセスでの監督、コーチ、選手の関係性。
これがショッキングなほどに古めかしくてイケてない。
このパワハラ構造って、日大アメフト部だけじゃなくて、
日本の部活動を中心としたスポーツ界隈のあらゆるところに存在しますよね。
アメフト事件が日本人の注目を集めた理由
この事件がここまで日本人の琴線に触れたのは、まず昨今の職場のパワハラ問題とリンクしたこと。
多くの人が間接的に「自分ごと」と捉えたと思います。
今の職場ではなくても、多くの人が中学や高校の頃に大なり小なり似たような理不尽な環境を身を置いたことがあるからではないかと思います。
この事件を見ていてなんだか自分も中学、高校生の部活動のことを思い出したんです。
今思えばあれって犯罪じゃねえの?と思うことを何度か目にしたような気がします。
中学の部活動で見たもの
中学の頃、ある球技の部活動に所属していました。
市内大会に参加したときのこと、強豪校と言われる中学校のコーチが強烈でした。
ミスした選手を呼びつけて、怒声を浴びせるのは当たり前。普通にボールで殴ったり、時に手のひらでしばいたりしていました。言葉も普通に「死ね」とか、「殺す」とか言っていたような気がします。(うろ覚えですが、強烈な言葉だった印象だけあります)
自分ところの生徒だけではなくて、他校の生徒にもやっていることがありましたね。
周りの先生や保護者も、もちろん止めたりはしません。
そのコーチは教師ではなくて、その中学校の地域で普通に働いているおっちゃんだそう。それ「球技」とったら単にやばいおっちゃんが、中学生しばいてるだけですよね。
傍目に見ていて、たとえ強くてもああいうのは絶対に嫌だなと思っていました。(ちなみにその中学に何故か勝ってしまうというオチ付きなのですが。。。)
そこまで極端ではなかったけれど、そういうのがまかり通る世界だったので大なり小なり似たような雰囲気はどこのチームにもありました。
好きなことが好きでなくなる環境
今回の事件の加害者となってしまったアメフト選手は「大学の厳しい環境?によって好きだったアメフトが好きではなくなっていた」という趣旨の発言をしていました。
これを聞いて、思い出したんです。
小学校までは好きでやっていた球技だったんですが、中学校になって部活に入った瞬間に単純に楽しめなくなったことを。
これは性格もかなりあるんですが、とにかくミスをしたくない。怒られたくない。というのが先行してしまって楽しむ余裕がなくなっていた。
それでも途中でやめるのは嫌だから結局中学、高校と6年間続けました。
でも「楽しい」と思えたことは殆どなかった。
引退してから何の縛りもなくなってやるときにすごく楽しく感じました。
中には「あのとき厳しく指導してくれたおかげで今の僕があります」という人もいると思います。
でも、それがなんでスポーツの必要あるんですかね。普通にスポーツ楽しみたいだけの人の方が多いですよね。
僕も当時の顧問の人たちはとっても一生懸命やってくれたと思っています。
でも今冷静に考えてみれば、その指導のせいで随分長い間、やりたくないことも我慢するようになってしまったり。そもそも本質と関係のないことを頑張ってしまうようになってしまったような気がします。
そしてその結果「何がやりたいのかわからない」、「やらなきゃいけないからやる」というふうになってしまった。
日本人にこういった考えの人が多いのは、中高の部活文化が影響しているんじゃないでしょうか?
数十年前のハラスメントでも訴えたら事件になる時代。
10数年前のハラスメントとして、かつての顧問やコーチが訴えられてもおかしくないでしょうね。