管理職・上司は「仕事ができる人」よりも「幸せな人」がなるべき。企業は良きロールモデルを作るべし。

仕事/キャリア

最近、会社員をしている同年代くらいの友人と話していると「えらくなりたくない」という人が結構いることに気がつきます。

幸せに見えない上司は負のロールモデル

友人の男性は「会社の上司を見ていても幸せそうではない。特に部長以上になると生活の全てが仕事になっている感じがしていやだ」

とか

友人の女性は「女性活躍の時代ということで、女性の部長や役員もちらほら見かけるようになったが、全然なりたいと思えない。むしろえらくなるとこんな風になってしまうのなら、頑張りたくないという負のロールモデルになっている。」

と、男性も女性も関係なくそんなことを口にします。

当然、部長や役員になる方々ですから「仕事はできる」人たちなんですけど「憧れる」とか「あの人みたいになりたい」という人たちではないことが多いみたいなんです。

その結果、「頑張ってえらくなっても(あの人たちみたいに)幸せになれないなら、ほどほどに仕事して、ほどほどの立場がいい」というような思考になっています。

もちろん、えらくなった本人たちは幸せなのかもしれないですが、少なくとも部下からはそう見えていないようなんですよ。

なぜなんでしょうか?

仕事はできるけど、人格が破綻している

仕事はできるけど、生活が破綻している

というパターンが多い気がします。

 

仕事ができるけど人格が破綻している

業績をあげることや、大きなプロジェクトを成功させるなど、仕事面での成果は素晴らしいのですが、その途中で部下を「もの」のように扱ったり、人前で怒鳴り散らしたり、ネチネチ嫌味をいったり、感情が不安定だったりと、「人として尊敬できない」人格の人が一定数いるようです。

もちろんどんな会社にも「とがった人」や「きつい人」はいるわけですが、こういう人が上にくると一時的に現場は成果をあげるようになりますが、長続きしません。

どうしてもメンバーが疲弊してしまうし、中にはやめてしまう人も出てきます。

怒鳴ったり、感情にまかせて怒っても一時的には現場がピリッとしますが、そのうち萎縮して何もいえなくなる人が増えてしまい、組織に活気がなくなります。

こういう上司を若者たちは

部長になったから「ああいう性格」になったのか、「ああいう性格」だから部長になったのか?

と疎む目で見ており「ああなりたい」とは思わないわけです。

仕事はできるが生活が破綻している

仕事一筋でやってきており、超人的な体力で残業や徹夜業務も厭わない。しかし、そのせいで家庭が崩壊していたり、(結婚願望があるのに)独り身だったりする場合です。

このタイプが難しいのは本人がそれで幸せそうなら、それはそれでいい人だったりすることです。例えば、仕事が忙しくて独身でも、「いきいき働いていて幸せそう」なら、これは良いロールモデルになりえます。

ところが、「本当は仕事よりも幸せな家庭が欲しかった」、「離婚されて孤独」、「子どもが全く懐いてくれず寂しい」などなど、往往にして生活が破綻している人はご本人も不幸であるように見えることが多いです。

その結果なのか、「不幸な人」はイライラしていることも多くて、そんな様子を若者たちは

独身だから「ああいう性格」なのか、「ああいう性格」だから独身なのか?

などと訝しくみているわけです。

負のロールモデルが従業員のモチベーションを下げる

で、こういう人たちが組織の上にいると、「仕事ができる」ので短期的には業績に正の影響がでるかもしれません。

しかし、それに続く後輩たちがやはり「ああはなりたくない」と思ってしまうため、中長期的には組織のモチベーションをさげてしまい、会社の成長を阻害するようになると感じます。

特に女性は、かつては「仕事かキャリアか」という選択を迫られた時代もあり、生き残って上に登った人の中には「特別な人」がそれなりの数いる気がします。

そういう人が「憧れるような人」であれば、後輩女性たちも大いに励みになるのですが、「特別な人」はクセが強い事も多く、そういう人は憧れの対象になっていないことが多いです。

また男性も近年はソフト化してきており、「ゴリゴリ働く上司」や「オラオラ系の上司」に対してあまり良い印象をもっていないように感じます。

こういった上司たちが「負のロールモデル」となり、若者たちの「頑張るモチベーション」を奪っているのです。

だから、組織の長には「幸せな人」がなるべきだと思います。

もちろん仕事ができることも大事です。しかし、それ以上に「幸せである」ことが組織を束ねるものには必要なのではないかと思います。

わたしも一家の長として(共働き夫婦なので、あまりそんな感覚ないですが)、

幸せな人でありたいと思います。

そして、子供に「お父さんみたいな幸せな人になりたい」と思ってもらいたいものです。

 

※必ずしも、きつい人や独身の人が不幸なわけではなく、「尊敬できない」とか「憧れない」というわけではありません。あくまでも一部の「不幸に見える上司」の例です。