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【働く理由】人はなぜ働くのか?昔も今も働くことの悩みは同じ?

2018年2月5日仕事/キャリア

社会人になりたてのころ「働くとは何か」、「なぜ働くのか」ということについてよく考えていました。

誰しもが経験する新人社会人の悩みといえばそれまでなのですが、3年くらいは悩んでいたように思います。

もともとキャリアやメンタルマネジメントなどの話が好きなこともあり、その時期には色々と本を読みました。

そのなかで「働くということ」という本がありました。

働くということ -実社会との出会い- (講談社現代新書)
〜50年前も人は同じように悩んでいた〜

筆者は1950年代に富士重工(現:スバル)に就職して15年ほど働いた経験がある人物です。(その後物書きに転身しています)

一生の大部分をかけて自分は何をやりたいのか、何になりたいのか。いったい何のために働くのか。たとえ給料はあまり上らなくとも、自分らの意志で、納得のいく仕事がしてみたいと望むのはなぜか。何かをなしとげた時に味わう手応え、自己実現への欲求こそ、労働の本質である。会社勤め15年の体験をふりかえりつつ、働くことの意味と意識を考える。

働くことと遊ぶこと――「労働」と「遊び」を互いに背反するものと考えるのではなく、むしろ、相互補完的な人間の営みとして受けとめようとする姿勢こそが重要なのだ。「労働」の中には「遊び」がひそんでおり、「遊び」の底には自己表現を核とする「労働」が沈んでいる事実が忘れられてはならないのである。「労働」は疎ましく「遊び」は好ましい、という単純な感覚論をもってしては、「労働」そのものはおろか、「遊び」の本質さえ掴みそこなうことになるだろう。つまり、「労働」のあり方が正確におさえられていなければ、「遊び」のありようも探れぬわけである。いずれにしても、「遊び」に向けられた欲求のこれほどまでの肥大を、生活レベルの向上による文化的豊熟の表現であると喜んでばかりはいられない。「労働」が病んでいる時には、「遊び」もまた病んでいるのだ

Amazon商品紹介より

書かれたのは30年ほど前の1980年代ですが、筆者の話はさらに昔の1950年代の働いた経験がベースになっています。

もはや半世紀以上前なのに「分業化された一部を担っていることに対して人は耐えられない」というような話が書いてあります。

当時ミスチルの「彩り」を聞いて涙をしていた自分は、「半世紀たっても人間の悩みって変わんねえんだな。」としみじみ思ったものです。(その後解決しましたが)

働くということ(日本経済新聞社)

また同じタイトルの本ですが内容は異なり、書かれた時期も(10年以上前ですが)比較的新しいものがあります。

もともとは日経新聞の連載にあったものを再編集したようで、オムニバス形式になっており、いろんな人の働く姿が描かれています。

2004年の流行語に「負け犬」(書籍「負け犬の遠吠え (講談社文庫)から流行)が選ばれた時代です。世の中が「勝ち組」、「負け組」といった格差が叫ばれはじめた時期で、働くことについても変化が出てきたころかと思います。

大卒者のうち、職に就かない「無業」の割合が20%を超すなど、仕事を巡る意識は大きく変化している。今、働く人たちはどんな悩みを抱え、何に価値観を置き、どのように働きがいを見いだしているのか。「日本経済新聞」での連載を再構成して単行本化した。

デイトレーダーとして年間1億8000万円を稼ぎ出したものの、「同僚と泊まり込みでシステムをつくっていたころが懐かしい」と振り返る男性。

「人に喜ばれる仕事がしたい」と料理人に転身した元裁判官。登場する「働く人たち」の姿は千差万別だ。

「どう働くか」は「どう生きるか」という問題に直結する。日本人の内面に起きている変化に迫りながら、単に生活の糧を得るためだけではない「働くことの意味」を改めて問い直す。

Amazon商品紹介より

この紹介文を今見ると「やりがいとかに悩めるだけマシ」と思えるような気もしますね。

今の日本の「働くこと」に対する悩み方はこんなもんじゃないような気がします。もっと逼迫しているというか、切実というか。

働き方改革というムーブメントも、そんな切迫した状況がついに防波堤を超えた結果といえるかと思います。

でも50年前の人も悩んでいたんだから、どんなに環境が変わっても、悩み方が少し変わるだけで、人が「働くこと」に対して悩み続けることは変わらないのかもしれないですね。。。